
タイトルの「施無畏」は「せむい」と読みます。その意味は「仏・菩薩が衆生の恐れの心を取り去って救うこと。」(デジタル大辞泉)です。また、「施無畏印」の意味ですと「施無畏の功徳を示す印相。右手の5指をそろえて伸ばし、手のひらを前に向けて、肩の辺に上げる。」となります。奈良東大寺盧舎那仏は、左手の印が「与願印」、右手の印は「施無畏印」と呼ばれています。
湘南地区の某女子校を教頭職で退官し、その後県内系列校の教頭を務めていた方が、先日逝去されました。県内の「中学入試の世界」では、有名人であり、実績も残され、皆に慕われていた国語科の先生でした。その先生は、「歌人」というお顔も持ち、2010年には歌集『施無畏』が「芸術選奨文部科学大臣賞受賞」という栄誉に輝きました。歌心などない私がそのうちのいくつかを紹介するなど畏れ多いと承知しておりますが……「携帯のバイブレイションごめんなさい海辺の風に抱かれてゐます」「昼食にクリスマス会開かれてクラスにひとり買ひパンを食ふ」「教卓の前の席にて笑ひをり明日も来いよ笑はせてやる」「うなさるることなくなりてたらちねはむつきを替へて夜長を眠る」「おむすびをしろつめ草の野に食へば熊ん蜂来る食ひたからうぜ」……。
『施無畏』の「あとがき」の一部を抜粋します。「世上は常に緊迫をはらんでいる。豊かさの中に貧しさがある。貧しさの中にさらに貧しさがある。貧しいものは豊かになろうとし、豊かなものはさらに豊かになろうとする。そこには大小無尽の争いが生じている。勝つものは得、敗れたものは喪う。国語教師をしている自分のような者であっても、小さな競争に巻き込まれて暮らしている。そのような現代社会のシステムから抜け出して暮らすことは、当面不可能だろう。その当面がいつまで続くのかもわからない。」
柳宣宏先生 2024年5月8日ご逝去。享年71歳。
謹んで合掌十念を捧げます。
湘南地区の某女子校を教頭職で退官し、その後県内系列校の教頭を務めていた方が、先日逝去されました。県内の「中学入試の世界」では、有名人であり、実績も残され、皆に慕われていた国語科の先生でした。その先生は、「歌人」というお顔も持ち、2010年には歌集『施無畏』が「芸術選奨文部科学大臣賞受賞」という栄誉に輝きました。歌心などない私がそのうちのいくつかを紹介するなど畏れ多いと承知しておりますが……「携帯のバイブレイションごめんなさい海辺の風に抱かれてゐます」「昼食にクリスマス会開かれてクラスにひとり買ひパンを食ふ」「教卓の前の席にて笑ひをり明日も来いよ笑はせてやる」「うなさるることなくなりてたらちねはむつきを替へて夜長を眠る」「おむすびをしろつめ草の野に食へば熊ん蜂来る食ひたからうぜ」……。
『施無畏』の「あとがき」の一部を抜粋します。「世上は常に緊迫をはらんでいる。豊かさの中に貧しさがある。貧しさの中にさらに貧しさがある。貧しいものは豊かになろうとし、豊かなものはさらに豊かになろうとする。そこには大小無尽の争いが生じている。勝つものは得、敗れたものは喪う。国語教師をしている自分のような者であっても、小さな競争に巻き込まれて暮らしている。そのような現代社会のシステムから抜け出して暮らすことは、当面不可能だろう。その当面がいつまで続くのかもわからない。」
柳宣宏先生 2024年5月8日ご逝去。享年71歳。
謹んで合掌十念を捧げます。