4月27日(月)11時~11時40分まで遊行寺本堂にて高校1年生対象の「遊行七十五代他阿一浄上人御法話」がありました。
入学から間もなく1ヵ月を迎える高校1年生に、温かいエールをいただきました。そのお気持ちに沿うよう、しっかりとした気持ちを持って高校生活を送ってほしいと思います。
さて、お上人のお話の中で「人に迷惑をかけてはいけないという言葉を聞くことがあるが……」というものがありました。私もかねがね「人に迷惑をかけてはいけない」という言葉は少々「引っかかる」感じがしていました。
「人に迷惑をかけてはいけない」ということは、確かに社会の中で他者と共に生きるための大切な規範の一つであり、その精神自体を否定することはできません。しかしながら、この言葉をそのまま額面通りに受け取って、「迷惑を一切かけずに生きること」が可能なのかと問われれば、私は「否」と答えるでしょう。
そもそも人は、生まれながらにして「誰かの手を必要とする存在」です。生まれたばかりの赤ん坊は、自分一人では何一つできません。食事も、移動も、身の回りの世話も、すべてを親や周囲の大人に委ねて生きているのです。言い換えれば、私たちは人生の出発点において、すでに誰かに「負担」や「手間」や「迷惑」をかけながら生きているのです。
もちろん、だからといって「迷惑をかけてもよい」ということではありません。他者への配慮を欠いた行動は、社会の信頼関係を損ない、結果として自分自身をも苦しめることになります。「迷惑をかけないように努力する」という姿勢は、やはり大切であり、私たちが持ち続けるべき心構えなのです。
同時に、もう一つ大切にしたいことがあります。それは「お互い様」という感覚です。人は誰しも、あるときは支えられる側になり、またあるときは支える側になります。今は迷惑をかけているように見えても、別の場面ではきっと誰かを助けているのです。この循環の中で、私たちは社会を形作っていると言えるでしょう。
「迷惑をかけてはいけない」という言葉を、「迷惑をかけない人間になれ」と受け取るのではなく、「迷惑をかけないように努めつつ、迷惑をかけられたときには受け止め、支え合える人間であれ」と捉え直してみるといいでしょう。そうすることで、この言葉はより温かく、現実に根ざした指針として、私たちの中に息づいていくのではないでしょうか。そのようなことを、改めて考えさせられる御法話でした。
入学から間もなく1ヵ月を迎える高校1年生に、温かいエールをいただきました。そのお気持ちに沿うよう、しっかりとした気持ちを持って高校生活を送ってほしいと思います。
さて、お上人のお話の中で「人に迷惑をかけてはいけないという言葉を聞くことがあるが……」というものがありました。私もかねがね「人に迷惑をかけてはいけない」という言葉は少々「引っかかる」感じがしていました。
「人に迷惑をかけてはいけない」ということは、確かに社会の中で他者と共に生きるための大切な規範の一つであり、その精神自体を否定することはできません。しかしながら、この言葉をそのまま額面通りに受け取って、「迷惑を一切かけずに生きること」が可能なのかと問われれば、私は「否」と答えるでしょう。
そもそも人は、生まれながらにして「誰かの手を必要とする存在」です。生まれたばかりの赤ん坊は、自分一人では何一つできません。食事も、移動も、身の回りの世話も、すべてを親や周囲の大人に委ねて生きているのです。言い換えれば、私たちは人生の出発点において、すでに誰かに「負担」や「手間」や「迷惑」をかけながら生きているのです。
もちろん、だからといって「迷惑をかけてもよい」ということではありません。他者への配慮を欠いた行動は、社会の信頼関係を損ない、結果として自分自身をも苦しめることになります。「迷惑をかけないように努力する」という姿勢は、やはり大切であり、私たちが持ち続けるべき心構えなのです。
同時に、もう一つ大切にしたいことがあります。それは「お互い様」という感覚です。人は誰しも、あるときは支えられる側になり、またあるときは支える側になります。今は迷惑をかけているように見えても、別の場面ではきっと誰かを助けているのです。この循環の中で、私たちは社会を形作っていると言えるでしょう。
「迷惑をかけてはいけない」という言葉を、「迷惑をかけない人間になれ」と受け取るのではなく、「迷惑をかけないように努めつつ、迷惑をかけられたときには受け止め、支え合える人間であれ」と捉え直してみるといいでしょう。そうすることで、この言葉はより温かく、現実に根ざした指針として、私たちの中に息づいていくのではないでしょうか。そのようなことを、改めて考えさせられる御法話でした。

























