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一遍上人の教示

―今ここに、自分が存在すること

鳥海青児 「聖図」
(旧中第2回卒)

毎年九月二十一日から二十四日まで、藤嶺藤沢の母体である時宗総本山・清浄光寺(遊行寺)では、開祖一遍上人の忌日法要「秋季開山忌」が行われる。

法要の初日に執り行われる「藤嶺学園関係物故者・追悼慰霊祭」は、この一年間に亡くなった生徒、卒業生、教職員、役員、評議員等、学園関係者を慰霊するもので、宗派を超え、宗教の違いも超え、藤嶺学園という学び舎の縁のもと、遺族の方々を招いた時宗総本山本堂では、しばし厳粛な時間が流れる。

「捨て聖」一遍上人が伝えること

慰霊祭の最後に参列者全員に配られる
一遍上人の念仏札

慰霊祭の歴史は、藤嶺藤沢の前身である僧侶養成学校「時宗宗学林」までさかのぼる。第二次世界大戦中に一度途切れたが、昭和二十二(一九四七)年に復活。以来、毎年行われる恒例行事である。生徒の宗教的情操の涵養のための得難い機会といえるこの慰霊祭だが、実は一遍上人の教えに負うところが大きい。

一遍上人は家も捨て、親族も捨て、寺院も構えず、一処不住で日本全国を遊行したことから「捨て」と呼ばれた。作家の永井路子氏は、一遍が遊行を続けながら手から手へと念仏札を配り続けたことを「日本の宗教史上で稀有なこと」と語っている。

慰霊祭の最後には、生徒ひとりひとりが遊行上人の前に歩み出て、手のひらに念仏札をいただく。札には「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」の文字が刷られているが、この「六十万人」とは次の四つの頭文字をとったもので、「すべての人」という意味を持つ。

六字名号一遍法
(六字の名号は一遍の法、絶対不二の法である)
十界依正一遍体
(仏、衆生もすべて絶対不二の名号体内の徳のあらわれである)
万行離念一遍証
(あらゆる自力の行為も、念仏申して執着の念を離れる時、絶対不二のさとりとなる)
人中上々妙好華
(このような者こそ、泥中の白蓮華にもたとえられる最上の人である)

この札には一遍上人が「南無阿弥陀仏を唱えれば、すべての人が極楽浄土に往生することは決定している」という、熊野権現の神勅で感得したことが込められているのだ。

旅において、一遍上人は「捨てる心さえ捨てる」と徹底した捨て聖を貫いた。だが、すべてを捨て去るなかでも「今ここに自分が存在すること」という、根源的な人とのつながりは大切にしていた。

一遍上人像

慰霊祭でいただく一遍上人以来の法灯に連なる小さな念仏札。この札を手にすることで一遍上人の足跡を振り返る機会を得る。私たちは一遍上人のように衣食住をはじめ、すべてを捨て去ることはできないが、今の己を振り返り、自分という存在が強く欲望に囚われていることに思い悩む。そして今ここに自分が存在し、自分という存在が人との繋がりがあってのものであり、それは他者とのかかわりのおかげであると気づかされるのである。

歴代校長が伝えてきたこと

第六代校長・橘 俊道

中世から伝わる「一遍上人画像」には、座っている姿は一つもないという。すべてが立ち姿で、片足を前に出し、数珠と念仏札を持っている。その姿は遊行と賦算、踊り念仏にかけた生涯を具現化している。

藤嶺藤沢の歴代の校長も、こうした一遍上人の生涯から感得した教えを生徒たちに伝えてきた。

「一時の努力はだれにもできる。しかし継続して一つの事に身も心も打ちこんでやりぬくことは、決してやさしいことではない。できないのはやらないからだ。やればできる。この一筋にかける。それは男の生き甲斐というものであろう」

第七代校長・田中清純

「一遍上人の『臨終即ち平生なり』の厳しい思想。これは不確実な明日を当てにすることなく、かつ再び返って来ない今この瞬間を大切に精一杯生きることの重要さを身をもって示している。生きることの意義や自己の意志で生き抜くための平生の心構えとしてほしい」

第八代校長・河野憲胤

「長い人生には色々な事があるでしょう。転ぶ事もあるかもしれません。その時には立ち上がるのです。今現在、どうしたら良いかを考えるのです。それが一遍上人の教えでもあるのです。一遍上人は只今が大切だと教えているのです」

第九代校長・濱谷海八

「私たちは、数えきれない人々の「おかげ(縁)」によって支えられ、生かされている。その「おかげ」のつながりの糸で結ばれた自分と他者、その一体化のなかに本当の幸せがある。その真理を体得し、他人と力を合わせて、ともに社会生活を営んでいこう」


一遍上人の弟または甥ともいわれる聖戒は、一遍の生涯を描いた絵巻『一遍聖絵』の詞書きの最後に、

「たとえ時代が移り、物事が過ぎ去っても、古(一遍上人の生涯)をたずね、新しきを知れば、百代の後世まで手本となり、千年の後の人々の導きにもなるはずであろう」

と記している。

慰霊祭

藤嶺藤沢の生徒たちに念仏札が配られる慰霊祭—「捨て聖」一遍上人の教えは時を超え、これからも受け継がれていくであろう。