創立100周年

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100年の歩み

1915誕生

「時宗宗学林」からの出発

時宗総本山、藤沢山清浄光寺(遊行寺)が設立した「時宗宗学林」から出発した本校は、1915(大正4)年5月14日に「私立藤嶺中学校」として文部省の認可を得た。
「私立藤嶺中学校ヲ神奈川県高座郡藤沢町ニ設置シ大正四年五月ヨリ開校ノ件認可セリ」(大正四年五月十四日付文部省告示第百八号)
旧中第一回卒の加茂公憲氏は「当時逗子開成に通学していたが、中学が認可になるというので開成を一年でやめ、家が近い関係で1915(大正4)年4月に転校した。ところが認可が遅れたので、宗学林に編集し卒業して中学に入学した。」と語っている。
当時の学園は、桑畑龍音校長を筆頭に、8名の教員が授業を担当していた。授業は三学期制を採り、修学旅行・運動会・各季の休暇などもあって、現存の教育制度と大差ない内容を備えていた。

1915~1917【大正4~6】

充実した教育環境

1915(大正4)年の認可が5月であったため、翌年4月に開校した藤嶺中学校。認可時は1学年50名ずつで総定員250名。木造二階建ての校舎や図書館など、当時としては充実した施設のもとで中学校の教育が始められ、同年6月12日には県参事会員の視察を受け、「教員生徒の風紀及び校内の経済状態欠くる所なく中等教育機関として適当」との評価を受けた。

1917~1939【大正6~昭和14】

校風となる「質実剛健」

1918(大正7)年4月、校名を「私立藤沢中学校」に改め、翌年、校舎全焼という不運に見舞われながらも3月に第一回卒業生を輩出した。宗門の人々や街の有志の努力もあって、同年7月に新校舎が再建されたが、関東大震災により再び焼失。それでも寄宿舎を使用して授業は続けられ「質実剛健」の気概を内外に示したという。母校復興を願う募金によって、被災からわずか10ヶ月後には、待望の新校舎が完成。1931(昭和6)年4月に藤沢商業学校を併設し、同年10月に名称を「藤嶺学園」と改めた。

1939~1942【昭和14~17】

軍国主義下での教育

急速に軍国主義へと傾き、国家主義、忠君愛国思想が教育の現場を圧迫し、学園もその独自性を保つことが難しくなっていった時代。そのような社会情勢の中でも、新校舎の竣工、さらに増築も行われた。1942(昭和17)年3月には藤沢商業学校第二本科という名称で夜間部も設置された。

1942~1953【昭和17~28】

県下私学の雄へと成長

1945(昭和20)年5月の戦時教育令により中学校生徒はすべて動員されてしまい、終戦後も授業再開には時間を要した。学園の復興は同年10月の藤嶺学園英語学校設立から始まり、1948(昭和23)年3月には新学制の下に藤沢高等学校と藤沢中学校が設立された。

やがて藤沢商業学校と同中学も復活し、藤沢高校夜間部、戦時中に傘下となった相模女子商業(現鵠沼高等学校)を擁する藤嶺学園は、県下私学の雄に成長していった。その間、新校舎や柔道場、学校食堂も新設され、1952(昭和27)年には、バレー部が全日本高校男子選手権優勝と秋の国体優勝を達成した。

1953~1973【昭和28~48】

「文武両道」にわたる活躍

学園が少しずつ姿を変えながら発展の道を歩み続けた昭和30年代。1956(昭和31)年に同居していた相模女子商業が鵠沼へ移転。
1959(昭和34)年には、公立中学校の普及により役目を終えた藤沢中学校が長い歴史に幕を降ろし、代わって翌年に工業科が設置された。新校舎2棟が建設され、野球場の拡張や体育館の完成など施設の拡充が相次ぐ中、文武両道にわたる生徒の活躍も目覚ましく、進学、就職、スポーツ活動などで顕著な成績を残した。

1973~1980【昭和48~55】

「還暦」を迎え、さらなる発展へ

1976(昭和51)年、創立60周年を記念して、先人の功績を称える全校をあげての祝典が挙行された。そして、節目を迎えた学園では、ますます設備の拡充が図られた。
同年には、第二体育館及び工業科の新実習工場、さらに翌年には念願の合宿所が完成。この合宿所では各運動部の合宿活動に加え新入生のクラス別一泊合宿も行われ、生徒間の結束と校風の理解に大きな成果をあげた。

1980~1991【昭和55~平成3】

「知・徳・体」教育の円熟期へ

戦後の混乱期を乗り切った学園は円熟期を迎え、知育、徳育、体育と三拍子揃った本校の充実した教育内容は広く世間の理解を集めるようになった。1982(昭和57)年には、図書館を備え、地元の文化興隆をも視野に入れた藤嶺記念館が建設された。そして1985(昭和60)年5月、学園は創立70周年という大きな節目を迎えた。記念行事として、体育館兼講堂の改装や同窓会名簿の発刊、野球場の大改装などが実施され、それに応えるかのように、野球部が念願の甲子園第67回全国高等学校野球選手権大会全国大会出場を果たした。尚、この間の1981(昭和58)年2月に、藤沢高校定時制(夜間部)が、その伝統に幕を降ろした。

1991~現代【平成3~】

建学の精神を継承した中高一貫教育へ

1996(平成8)年4月、「藤嶺学園藤沢高等学校」へと名称が改められた。そして、21世紀を迎えた2001(平成13)年4月、「藤嶺学園藤沢中学校」が開校。新校舎と新体育館も竣工し、中高一貫教育という新しい歴史が刻まれ始めた。近年、進学校としての実績を着実に積み上げつつある本校だが、知育、徳育、体育のバランスを重視した人間教育こそ、創立以来の柱であるという考えから、生徒たちは幅広い分野で活躍している。本校の精神を貫いている「質実剛健」「勇猛精進」の気風は、今日においても健在である。